レディオアイの閉局まで、とうとう24時間を切ってしまいました。
10年前に開局した時は、やっと名古屋にCOOLなFM局ができたと
喜んだものです。

思えば私は若い頃ちょっとしたFMオタクでした。

30代〜40代の男性なら知ってるかな?
昔FMステーションという雑誌があったんですけど、
中学生の頃、私はそれを毎号買っていました。

そしてチェック(エアチェックってやつですね!)するのは、
JFN系で当時FM愛知で放送していたAmerican Top 40.
あとNHKFMのクロスオーバーイレブン。
そしてNHKは一曲全部流してくれるので、オンエア曲順を調べて、
録音したい曲がかかるまでラジカセの前でじーっと待っていました。

FM三重がビートルズの全曲をAからZまで流し続けると知った日には、
夜中でも家の中で一番受信感度がいい場所を探して、
息を呑んでテープに録音しました。メタルでね。

そして自分で作ったテープにラベルを貼って、
中学の友達と貸しあっこしたりしていました。
そうやって皆洋楽を知っていった、そんな時代。
部活も、小学校は放送部で給食時間にスティービーワンダーを流し
中学はVTR部という、放送室でTV愛知の深夜にやっていたMTVを
ベータテープに録画して皆で楽しむという、よく分からない
部活の副部長をやっていました(汗
高校に入っても放送部に行こうと思ったら、
アニヲタの巣窟だったのでやめました。

その後も、J-Wave聴きたさに、1ヶ月6000円くらい払って
有線放送を聴いたり、家にFMアンテナを立てたり、
また京都のαステーションをたまたま受信できたことから
「ええわ〜」と悦に入ってみたり。
今はかなりやかまし系の局になってしまったのが残念ですね。


ということで、かなりムッツリ系のラジオ乙女だったのです。


で、そんな中、10年前にレディオアイができたのは
かなり画期的な出来事でした。
流れてくるのは殆ど洋楽。喋って人達も外国人ばかり。
もちろん、試験放送の時からずっと聴いていましたよ〜。

まさかその時は、自分がラジオの仕事をするなんて
全然思ってなかったです。

第一、バイリンガルDJってなんなん?!
英語日本語どっちかにしてよね
って、ちょっとひねくれた見方をしていたし。
でもレディオアイは外国人向けでもあったので
バイリンガルの意義は大きかったですね。
私も観光ガイドする時のお客様で、ホテルの部屋で
レディオアイを聴いているという方が何人かいらっしゃいました。

で、ディオアイのニュースアナウンサーの仕事には
本放送が始まった時からかなり憧れましてね〜。
どうやったらなれるんだろう?ってね。

で、色んな方のサポートがあって、ニュースアナデビュー。
ついに聴く側から作る側の世界に足を踏み入れてしまったのです。
それが2005年のことでした。

当時は県の嘱託員の仕事をしながらだったから、
普段は公務員の人たちと、そして週1でマスコミと、
結構おもしろい生活でしたよ。

そしてアナとしてラジオの世界に携われるだけでも
ありがたいのに、最後の半年は番組も持たせてもらえました。
残念ながら体調を崩してしてしまい、最後の閉局まで続けられませんでしたが、
メーテレを退社したばかりの桑原麻美さんにタイミングよく
バトンタッチをお願いできることになって、彼女のDJをやりたいという
夢も形になって、私もおかげで回復できたので、
すべては計らいなのかなぁ、なんて思います。


で、何が言いたいかって、
ありえないことでも何でも、こうなったらいいよなぁって
思い描くと本当になる確率が高くなるってことです。空想でもいいです。
周りに言わなくてもいい。
もちろん言ったほうがサポートは得られやすいけれど、
要はビジュアライゼーションじゃないかと思います。。。


さて今日のレディオアイでは朝から電波停止になる夜中まで特番を
放送します。ワタシもモーニングライブのsoul sistaアスカの枠に
ちょっとだけ出ますよ。午前11時台後半になると思います。
どんなフィナーレになるのか想像もつかないですね。

平日なので一日中聴ける人は少ないかもしれませんけど、
リクエストも受け付けます。メールは sayonara@radio-i.co.jpです。
ツイッターは#radioiでいろいろつぶやきが飛び交っています。
エリア外の方は、KeyHoleTV(P2Pソフト)で誰かが配信しているので
そちらでどうぞ。

レディオアイの最後を皆で見届けましょう!!